店主 栗原 清

店主 栗原 清平成元年のこと。大手運送会社の富山販社の社長を務めていた私は、独立志向を持っていたため退職して会社を設立。コンテナを使ったカラオケボックスの事業展開を始めた。自身でもカラオケボックスを経営するかたわら、コンテナやカラオケ機器の販売も実施。その一方で、アメリカで開発された自己啓発の教育プログラムの販社をつくり、さらには薬草酒をメインに提供する小さな居酒屋も1軒持った。三足のわらじを履いたわです。
カラオケボックスの方は、ブームの先駆けであったためビジネスは順調に伸びた。ところが、商機があると見るや、雨後の筍のように新規参入が相次ぎ、コンテナではなくカラオケハウスを建てるところが出現。カラオケの機械もより便利な機能を求めて開発が進み、年に数回、ニュータイプのマシンが出されるようになった。
「こうなると、資本力がものをいいます。私は個人創業でした。カラオケハウスの展開はなかなかできませんし、カラオケの機械も随時新型に入れ替える資金的な余裕がありませんでした」
それでも無理してカラオケマシンを交換していったことが主な原因となって資金繰りに苦しむようになり、ついには資金ショート。億単位の負債を抱え込んだ。教育プログラムの販社も閉じた。経営的には何も問題はなかったものの、“自己啓発の教材を売っている社長の別会社が行き詰まったということは、この教材の意義は…”とうがった見方をしてくる客先も現れてきたから清算したのです。
残ったのは居酒屋(金沢市)と借金のみ。一時は夜逃げも考えました。「自己破産すると行動が制限され、再起も難しくなる。借金を抱えて、死んだ気でもう一回やってみないか」と弁護士にアドバイスされて始めたのが、ラーメン店でした。居酒屋の奥にあった物置を改造し、みかん箱にベニヤ板をのせたようなテーブルを配し、15人も入ればいっぱいになる店を構え、ラーメンの試作に明け暮れたのでした。
「イメージしたのは東京の支那そばでした。透明感のあるあのスープが好きで、東京に行った時は必ず食べていました。ところがどれだけ試作しても、スープは真っ黒。本格的な修業をしていませんから限界があったのでしょうが、真っ黒いスープもなかなかいけた。そこで、いつまでも準備しているわけにはいかなかったので、店をオープンさせたのです」
暖簾(のれん)を出したのは、平成4年11月。店の名前は「ザ東京ラーメン」とした。そして9カ月後の平成5年8月には、法人化して「ザトラ商事」を設立(店名はそのまま)。行列ができるほど評判のラーメン店になった。それを見た古くからの友人が「応援するから富山にも店を出したらどうか」と誘い、後に本店となるお店(射水市戸破)を出したのです。 金沢店は、新幹線建設予定地にかかってしまったため、残念ながら閉店となりました。しかし、ラーメン店の経営に徐々に自信を持ち始め、本店を拠点にしての多店舗展開と、フランチャイズ化の導入も検討するまでになりました。 “ラーメン屋のおやじ”になって苦節23年。平成14年にはフランチャイズ1号店の掛尾店がオープン。翌年には店名を「麺家いろは」に変え、また平成17年には法人名を「天高く」に改めた。
「ラーメン屋のおやじとして本腰を入れ、一からやり直すという意味で、店は『麺家いろは』と名付けました。また当時本店周辺には、高い建物がほとんどなくて立山連峰が一望にでき、立山のごとく社運を高くしたいという希望を込めて『天高く』にしたのです」と再スタートにあたっての大きな夢を語る栗原会長。一時金沢に避難していたものの、「事業家としての自分を育て、また新たに機会を与えてくれた富山に感謝したい」という思いでいっぱいでした。
「全国へ」という思いが頭をかすめた時、富山のPRとともにラーメンを売ろうと考え、商品名を「富山黒醤油らーめん」と改名。近くの富山県立大学の研究者たちが常連客になり、「ラーメンに深層水を使ってみないか」と誘う教授も現れました。その取り組みが新聞で紹介されると、今度は県漁連から「白エビの殻をだしに…」と提案された。栗原会長は“ちょっと変わったラーメン屋のおやじ”として、県外にも知られるようになったのだ。全国区へのデビューのきっかけは、浜松のラーメンテーマパーク(浜松べんがら横丁)への出店(平成18年3月)であった。順位を争うテーマパークではなかったものの、全国の有名店6店とともに人気が比較された。初めの2カ月間の売り上げは、下位をキープ。真っ黒いスープが敬遠されたようだ。ところが3カ月目に入ると「真っ黒いけど、後味あっさり。富山の黒醤油もなかなかいけるぞ…」と口コミで広まり3位に。さらに3カ月後には2位に浮上し、以後これをキープするようになった。
浜松で注目されたのをきっかけに、デパートやスーパーで開催される物産展からも声がかかるようになる。そして月に平均1回は出店するようスケジュール調整をしてきました。
「誘われて出店する物産展は、商売としては魅力的ですね。基本的にはラーメンをつくるスタッフだけが行けばいい。見込みの客数に合わせて、私1人の時もあれば、他に1~2人を連れて行くこともあります。費用を差し引いても利益が残りますし、何より宣伝効果抜群。物産展には、一般のお客様に混じって商売のネタを探している人がいて、次のビジネスにつながるケースが多いのです」

現在、国内6店舗、海外13店舗「海外店としては、平成23年に出店した北京、その後シンガポール、ロサンゼルス、香港がありますが、2020年に世界中に100店舗出店する計画です。

富山の社長

KENJA GLOBAL(賢者グローバル) 株式会社天高く 栗原清